雪がひどかった日、祖父が亡くなった。
もうそろそろかもしれないとは覚悟していたが、このタイミングだとは思わなかった。
コロナウイルスにかかり肺炎を併発したが、症状がひと段落していた時だった。
晩年の祖父は完全にぼけてしまっていて、なにも覚えていないようだった。
家族で介護をするには限界があり、施設へお願いしていた。
父親とともに何度か会いに行ったが、私のことが分からないのはもちろん父親のことも誰か分かっていない様子だった。
父親が名乗ると「直系じゃないか」と驚き、私が名乗っても顔をしかめたままだった。
こんな状態で面会したところでどうしようもないと思っていたため、私はいつも乗り気ではなかった。
元気だったころ、私にはいつも英語の本を読むようにと言っていたことを思い出した。
遺言ではないが、いただいた言葉としてもう忘れないでおこう。
もっと元気なうちに会っておくべきだったと思う。
一緒にお酒を飲むこともなく、永遠に会えなくなってしまった。
これまで幸運なことにこれまで一度も葬式というものに参加したことがなかった。
連絡があってから葬式までは1週間ほど時間があった。火葬場の予約が取れなかったらしい。
突然だったので、喪服を買うところからだった。時間の余裕があったのでその点では大変助かった。
祖父は静かな顔で亡くなっていた。
末期の水を捧げたが、本当に亡くなっているのかと思うほどだった。
葬式はわが血筋らしいものだった。
葬式の前に家族で食事に行くことになったのだが、母親の提案は焼肉だった。
「せっかくだからいいものを食べよう」というのは分かるが、この状況で焼肉はないだろう。無神経というか図太いというか……
こんなことを言いながらも、式中は一番泣いていた。
買ったばかりの喪服ににおいがつく、という理由でお断りした。
父親は読経中に寝ていた。直系だろ。
もう覚悟できていたのかもしれないが、それはないだろう。
焼香を寝過ごしそうになって、母親につつかれていた。
一番応えていたのは伯父のようだった。コロナ禍以降祖父と会えていなかったらしい。
そんな伯父も精進落としでは笑顔でがぶがぶと酒を飲んでいた。
私もだいぶん勧められた。
遺産の話もあったのだが、各々が「それぞれのいいようにしてくれ」と言って進まず、後日話し合うことになった。遺産争いとは無縁の雰囲気だった。
なんというか、暢気な一族だ。
自分にも同じ血が流れていると思うと、うれしくも誇らしくもある。